福井県福井市照手4丁目
1-25
TEL:0776-23-2974
FAX:0776-23-3966
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福井県湊八幡神社
神社の由緒
神社名
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湊
八幡神社
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旧社格
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郷社
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御祭神
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応神天皇(おうじんてんのう)
別名を「大靹別尊(おおともわけのみこと)」 玉依姫(たまよりひめ)
神功皇后(じんぐうこうごう) |
鎮座地
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福井県福井市照手4丁目1-
25 |
宮司
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嶋崎 豊
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電話番号
FAX番号 |
0776-23-2974
0776-23-3966 |
駐車場 |
有り
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特記事項
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神 紋 左三っ巴、対い
鳩、丸に三葉葵
境内地 1487㎡
主要建物 本殿 木造銅板葺流造
拝殿 木造銅板葺日吉造
氏 子 350戸
社 宝 神像掛軸一輻・絵像掛軸一輻
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八幡神社
稲荷神社
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由緒沿革
当社は現在、JR福井駅より西に直進2キロ、花月橋北詰めに位置し、境内の正面
には足羽川の清流が、又その堤防沿い桜並木が続き、季節には神社周辺に「桜まつり」も開催され、
市民の憩いの場所となっている。
当社の始まりは、戦国大名朝倉孝景が武運隆く文明三年(西暦1471年)5月に、将軍義政公より越前国守護に任ぜられ、足羽南郡一乗谷に築城の折、将軍の
祖神宇佐八幡宮(現在の大分県「宇佐神宮」)のご分霊
を一乗谷城戸の内へ勧請し、社殿を建立したこととある。
以来朝倉家代々の信仰と崇敬を受けてきたが、天正元年(1573年)朝倉義景の時に、織田信長勢の攻略により落城。
慶長6年(1601年)初入国した越前初代藩主松平秀康は領内神社の由緒をお調べの上、北ノ庄に遷座し社地を寄附され、社地門前を八幡町と称した。慶長
19年二代藩主忠直大阪出陣の際には戦勝祈願に長船(おさふね)の名刀奉納。寳永5年(1708年)の大火で社殿火災の際
は、七代藩主吉品が少し川下の御船町に社殿を再建、ご遷座に際し神器種々を奉納された。その後も代々の藩主の崇敬厚く安永8年(1779年)には十二代藩
主重富より神号額等の寄進、文政元年(1818年)の大火後の再建に際しての寄進等の記録もある。天保6年には江戸相撲安武松緑之助土俵入の時、金太刀一
振(長さ三尺余、上総守藤原栄道の作)が奉納された。
明治35年福井市の大火で社殿が焼失したが、同39年12月に社地を現在地に移して新築遷座。昭和20年7月福井空襲でも本社・三境内社全てを焼失。同
21年「湊八幡神社」に社名変更。同34年10月に社殿を再建し、今日に至っている。
朝倉家ゆかりの一乗谷にご鎮座して540年を記念し、平成23年5月より「平成の大修理」が行われ、同年10月に完成している。 |
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